死ぬその瞬間まで「一生懸命」生きたい。
最近の夕方ルーティン。
『志多らのランニングコースを走ること』。
今はもう寮を出て長い月日が経ちますが、志多らに入団してから約10年間寮生活をしていました。
もう戻れない、宝物のような生活。
この宝箱を開けると、それはもうしんどくて、しんどくて、しんどかった思い出がキラキラと輝いています。
その中でも、特に思い返されるのは、毎日の早朝ランニング。
”志多ら=やたら走る奴ら”
って周りからもイメージされるくらい。
やたら走ってました。
アスリートではないんですけどね、「基礎体力」と何より「長時間の演奏を乗り切るための精神力」が身に付くと信じて走り続けてました。
アップダウンの激しい山道を、朝6時からスタートして12キロ。
同じコースを寝起きで10年間毎日走り続けるわけですから、
よっしゃーーーーっ!いくぜーーーーっっ!!
ってモチベーションで走れたことなんて…多分ありません。
トイレにこもってみたり、横道それて息を潜めたり・・・
そうやってサボってしまったことも幾度となくあります。
おい暴露!!笑
自分と向き合い、自分と対話し、自分に問いかける・・・そのためには最高の時間。
ひたすらに同じコースを、様々々々々な思いで走り続けました。
今また改めてその景色を眺めながら走ることで、当時の想いが蘇る蘇る。
何も変わってない景色がそこにあり、”しんどかった”ことより”むしゃらで一生懸命で夢を追っかけてた”当時の自分が蘇ってくるのです。
一度離れることで、当時はしんどかった(何度もしんどい言ってごめんなさい、でも正直な気持ちなんです)寮での生活がいつの間にか自分を支える大きな自信・土台へと変わっていました。
誰のものでもない、自分だけの宝物に17年経ってまた出会えました。
未来は変えられないけど、過去は変えられる
という好きな言葉があります。
これから起こる出来事なんてなんて変えようがない。
けど過去の出来事、その事実は変わらなくても、解釈を変えることができる。
という意味です。
そして残念なことに、リアルタイムでは気付けないということです。
10年20年先に報われるかどうかもわからない今を、楽だからやる、苦しいからやらない、なんて単純明快な判断で生きていくのは勿体無いですよね。
目の前のことに一生懸命、これは年齢立場関係なく死ぬその瞬間まで大切にしていきたいな、と走りながら思いました。
というお話でした🙇♂️
よし、9時までにかけた💦